2024年に新紙幣発行することが、4月9日麻生財務大臣より発表がありましたね!
1万円札は渋沢栄一と決まりました。
渋沢栄一は、「日本資本主義の父」と言われ、埼玉県が生んだ偉人の一人ですね!

毎年、春先に中学生と小学生の孫を旅行に連れていき、色々な体験等をさせているのですが、今年は勉強兼ねて、深谷市にある渋沢記念館・世界遺産である富岡製糸場を訪れました。
どういう奇遇か新札発行発表の一週間前でした。
まず、渋沢記念館に行きますと、年配の男性が寄ってきて、延々と説明をはじめました。
非常にわかりやすかったのですが、若干辟易しましたが、30分後に予約があるとのことで説明は終わり、その後はゆっくりと見学することができました。
予約者を見ておりましたら、清水建設の若手と引率者らしき方と20名ほどきておりました。
渋沢栄一は約500の企業を設立しておりますが、その中に清水建設もあり、歴史を学ぶために来ていたのかと推測した次第でした。
渋沢栄一の生家は、血洗島という物騒な地名にあり、気になっていたのですが、一説によると利根川の氾濫で血を洗うような努力をした土地という意味と説明がありました。
何か違うような気がしますが・・・
しかし、生家は裕福な農家で家の2階では養蚕をしていた写真が展示されていました。
そして、世界遺産に登録された富岡製糸場は政府の富国強兵策の一環として渋沢栄一が建設計画を実施し、理事になっていたそうです。
また、深谷市3偉人に渋沢栄一の従兄である尾高純忠が富岡製糸場の初代工場長となっており、娘が女工第一号となったそうです。
また、もう一人の韮塚直次郎は日本で初めてレンガの製造方法を確立した人物で、富岡製糸場の建屋のシンボルとなっているレンガ造りに貢献しました。
なお、このレンガはその後、東京駅舎に使用されましたね!
最近は、深谷駅もリトル東京駅といわれ、非常によく似た駅舎として再現されていますよ!

その後、富岡製糸場を見学したのですが、石じいの学生時代は、富岡製糸場と言えば「女工哀史」と歴史で教わっておりましたが、世界遺産登録に「なんで?」という疑問がありました。
高温・多湿で蚕の悪臭など容易に想像できますよね・・・
富岡製糸場見学すると、そのようなイメージが全くなく、きれいな部分だけで作られたのではと勘繰る次第でしたね!
どうも映画化もされた「ああ野麦峠」のイメージが定着し、現代でいう「ブラック企業」のレッテルが貼られていたようです。
富岡製糸場は渋沢栄一が係わっていたように、当初は官営でしたが、その後三井所有となり、最終的には片倉製糸場(片倉工業)に買収されました。
片倉工業といえば、長野県岡谷の出身であり、岡谷市は生糸生産が盛んであった地域です。
ここで、「ああ野麦峠」とつながりましたね!
飛騨の貧農家から女工となった主人公が過酷な労働で病気となり、兄に背負われて故郷へ帰る途中の野麦峠で息絶えるという内容ですね!
なお、岡谷では、労働環境改善を求めた約1,000人の女工が日本で初めてストライキを実施したことを知りました。
女工達の全面敗北であったようですが、これらのイメージで「哀史」という表現になったのかなと感じた次第です。
実際はコレラ、結核等の病気で、当時治療法も内容な状況で亡くなっていたようです。
女工の給与は当時としては、非常に高額で憧れの的だったようですが、いったん病気になると高額な医療費が払えず、亡くなったため悲哀が生まれたようです。
女工たちのアンケートもあるようですが、大半の人が女工になってよかったと言っているとのことですよ!
イメージが全く違いますよね!

 ところで、生糸生産は1950年代、中国を抜き世界の60%と大きな地位を占めておりましたが、現在は0.6%と完全に衰退しております。
現在日本では、群馬県と山形県の2事業所のみの生産となっています。
群馬県は日本の生産の35%を占めているにすぎないそうです。
生産性の低さと環境の悪さでどんどん後進国に移っているのですね。
現在は生糸生産は中国が80%占めておりますが海岸沿いから内陸の方に移っているそうです。

熊谷市も最近まで生糸生産を行っていたのですよ!
片倉工業は最後の製糸場は、1994年に現在のイオン(前サティ)の場所で生産を続けていました。
さすがにも石じいも知りませんでした。
現在は、片倉シルク記念館として残しており、富岡製糸場の小型版のように全ての設備が整っており、歴史が展示されておりました。
特に、工場解体までの歴史が上映されており、非常にわかりやすかったですよ!
入館料は無料ですので、一度行かれたら良いかと思います。
また、熊谷市には養蚕試験場があり、桑畑が多く存在しておりました。
1998年に廃止・解体され、現在は正門のみ残す状態で広大な公園となっております。
熊谷気象台の隣に位置していたのですよ!

更に、熊谷駅南口の万平公園には、現在でも「蚕霊塔」があります。
近くに、繭検定所があったのだそうです。
熊谷市はも元々宿場町と思っておりましたが、生糸生産も盛んであったのですね!
ずっと継続していれば、富岡製糸場と共に世界遺産に包含されたかも・・・
渋沢栄一館訪問から、今まで知らなかった熊谷市の歴史まで、多くを学ぶことができ、見識が増え、感激ですね!
これからも、一粒万倍を目指し、色々な体験をしていきたいと思います。

By Hiroyoshi Ishii