都市を形成する中で、必要条件は色々ありますが、特に重要なのは飲み水の確保です。
太古依頼、飲み水の確保には河川水、井戸水、湧き水等が使用されてきました。
人口が増えるにつれ、井戸水等では不足するため河川水を使用しなければならず、上水道が発展してきました。
紀元前300年のローマ帝国では発展したローマ水道は非常に技術的に優れた水道でした。
ローマ市内の上水道は延べ350kmに及ぶ大規模なものでした。
重力を利用した石造りの水路で、1km長さに対し34cmの傾斜で作成されており、水量も1,000リットル/日という大量な水量でした。
素晴らしい土木技術ですね!
写真は世界遺産に登録されているフランスのボン・デュ・ガール水道橋です。
3層構造になっている芸術的な水道橋です。

日本における上水道はどうなっていたのか?
日本で一番古い上水道は、江戸時代の小石川上水といわれております。
江戸は埋め立てによってできており井戸水は海水がでてくるため飲用に適さず、井戸へ運ぶ上水道が必要であった訳です。
江戸は人口100万人もいたわけですから、飲料水は不足するため神田上水、玉川上水など多くの水道が整備されました。
特に玉川上水は40kmの長さがあり、高低差が10mという精緻なものであり、当時では世界最大の水路であったそうです。
これらの水路から木樋を通して井戸に運ばれ、飲み水として利用していました。
そして、汚染水が流されないように監視人もいたそうです。
それでも深川近辺は水質が悪く、「水売り」または「冷や水売り」という商売がありました。
川の水を売る悪もおり、年寄りや子供が体調を崩したことから、「年寄りの冷や水」の語源ともいわれております。

また、上水による飲料水には水道代が徴収されていたそうです。
長屋の店子は無料ですが、大家や武家などから徴収されていたとのことです。
水道代の算定根拠は、家屋の間口で決められていたそうで、入り口を小さく細長い家屋にすること(うなぎの寝床)で水道代を下げていました。
水道代だけでなく、江戸時代には間口税をかけたことから、各地に間口の狭い家屋が増大したとのことです。特に京都にその名残が多いですね、
上水道が完備されたといっても、現在の飲料水とくらべれば、細菌だらけの飲み水です。
よって、感染症による死亡数が多く、江戸時代の人口約3千万人はずっと横ばいだったそうです。
江戸時代の子供は7歳まで「神の子」と呼ばれ、人別帳にも記載されなかったそうです。
統計があるわけではないのですが、10人中4人は育たなかったとの説もあります。
もちろん、病気による死亡もありますが、極貧生活の中での「間引き」も含まれていました。
7歳まで成長する子供を祝った儀式が「七五三」ですね!
3歳、5歳、7歳にお祝いをする「しきたり」ができたのですね!
7歳になってやっと人別帳にのることになります。
ところで安全な飲料水となったのはいつが知っていますか?
大正11年に、東京、大阪で第一次世界大戦時に毒ガス研究をしていた塩素系ガスを上水に添加し、飲料水としたところ乳児死亡率が急激に減少したそうです!
おそらく欧米で行われていた方法をまねたのではないかと思いますが・・・
そして、第二次世界大戦後、マッカーサー元帥の指示で、欧米に倣って、現在の塩素濃度にしたようです。
蛇口をひねれば生水として飲めるほど、日本の水道水は最も安全ですね!
欧米では硬水が多いため生水で飲むには適さず、ミネラル水を買って飲んでいますよね!
1リットル当たりの値段にするとガソリンより高いですね!
塩素濃度を欧米の規格に合わせたとはいえ、一番安全な水道水というのは皮肉なものですね!

by H.Ishii