徳川家康はなぜ江戸に幕府を開いたのでしょうか?
通説では、豊臣秀吉の命により、無理やり江戸に移封されたということになっています。
家康の家臣団が大反対をしましたが、選択肢は無く、そして、寒村で湿原だらけで廃屋に近い江戸城に入ったと・・・
疑問なのが、天下人となってからも江戸を離れなかったのは何故なのかでした。
江戸時代は人生50年と言われており、家康が江戸に入ったのが49歳、関ヶ原の戦いで勝利を収めた後、征夷大将軍を天皇より賜り徳川政権ができたときは62歳です。
江戸に移って13年経ているとは言え、とうに平均寿命を超えておりこれから新規開拓をしていくよりは、京都または大阪に陣取ったほうが得策ではなかったのかと素人目には思えます。
特に、京都には災禍にあったとはいえ徳川の居城であった二条城がありましたので再建してでも京都にという発想がなかったのでしょうかね!
ましてや、豊臣がまだ勢力を持っており、早く天下を手に入れたかったのではと・・・
大阪夏の陣で豊臣を滅ぼし実質的な天下人となったのは亡くなる前年の74歳でした。
江戸にいたためかわかりませんが、大阪城を陥落させるのに実に15年の歳月がかかっています。
織田信長が最大の一向一揆である石山合戦で、陥落させるのに10年かかった自然の堅固な要塞であった石山本願寺、その跡地に建てられたのが大阪城だったのです。
京都にいればもっと早く体制固めができたのではと勝手に考えてしまいます。
このような疑問を抱いておりましたが、納得できるような説を見つけました。
まず、当時の京都は疫病が流行っており悲惨な状況であったそうです。
鎌倉幕府を開いた源頼朝が鎌倉に幕府を開いた要因の一つもこの疫病だったようです。
次に、都市を形成する要因は川に接して物流がスムーズにできることと、当時の唯一のエネルギー源である木材が得られることが大きいと言っています。
木材は一人当たり年間20~30本必要とされており、京都に至っては40万人いたわけですから800万本以上の木材という計算になり、伐採により必要な材木がなくなってきたというのです。
比叡山、東山は荒廃し、森林再生能力を超えていたのだそうです。
大阪にしても兵庫の六甲山から木材を調達していましたが限界に来ていたというものです。
その点、江戸は秩父、群馬など多くの森林を抱えておりエネルギー源の心配がないということです。
そして運搬できる荒川、利根川がありました。


江戸城は元々平安時代前に秩父の江戸氏の出城として存在していました。
平安時代には太田道灌が江戸城として本格的な城を建造し、大々的に栄えていたのだそうです。
戦国時代には、北条家の傘下に入りますが、海と川を利用した物資輸送が盛んで繁栄していたのだそうです。
そうなると、冒頭に上げたような寒村という通説は当てはまりませんね!
実際、北条征伐に家康が出陣していたわけですが、北条陥落前に秀吉との間で、関八州240万石と江戸城を拠点とすることが合意の上で決められていたとの文献があるそうです。
そして、北条陥落後、秀吉が宇都宮遠征をする際、江戸城に家康が出迎えたとのことです。
あまりにも粗末な城ではこのようなことができませんよね!
それと、北条との戦の前に家臣団を関東に出向かせて調査を実施していたとのことです。
当初は江戸の他、鎌倉、浦和も候補に上っていたそうですよ。
物資流通面を考えると江戸が最適との判断だったようです。
そして、北条陥落後、即、江戸開拓のため運河の構築に入っております。
事前に計画を立てていなければできないことですね!
このような動きをみれば、文献にあるように江戸城はそれなりの構えを持っており、かつ城下町も備えた地域であり、率先して入ったものと考えられますね!
しかし、当時、荒川、利根川は江戸湾に流れ込んでおり、広い湿原があったのは間違いないようです。
今の日本橋当たりにあった遊郭で有名な吉原は「ヨシ原」と言われており湿原でした。
家康は江戸城入場後、頻繁に鷹狩りと称し関東近辺の調査をしていたそうです。
そして、大工事「利根川東遷」の土木工事をはじめます。
この工事は3代将軍時代まで完成するまで60年かかっております。
これと湿地帯の埋め立てにより農作物が安定して採れる関東平野が出来上がったわけです。
そして、「天下普請」という策を使い、諸大名に金銭、労働力を強制し自前の資産をそれほど使わずに工事を成し遂げたことになります。
家康は、広大な関東平野の将来性を見ていたのでしょうね!
たぬき親父風で何となく食えない感じの家康ですが、土木工事のスペシャリストで大政治家だったのですね!
とてつもない大局観を持った家康は、今まで以上に尊敬しちゃいますね!

蛇足ですが、飛鳥時代から江戸時代に至るまでに17回の首都の変遷があります。
当初は奈良が中心で遷都が繰り返されていましたが、平安京遷都以降全く奈良への遷都がありません。
昔、奈良には川が流れており大阪湾にまで繋がっていたのですが、エネルギー源の木材伐採のため土砂堆積が進み、川がなくなったため物資の運搬ができず退廃していったのだそうです。
仏像や寺院が多く旅行に行かれる方も多いかと思いますが、近年の陸上輸送が発達するまでは全く人口の伸びもなく寂れた都市であったそうですよ!