昨年11月に高大連携歴史教育研究会が、坂本竜馬が高校の歴史教科書から消えるかもしれないと発表しました。
テレビによく出てくる東大の本郷教授によると、実際の歴史上「役割や意味が大きくない」との理由です。
坂本龍馬は早世したため彼の業績はあまり評価されず、ほとんど無名に近い人物でした。
坂本龍馬の名前が取り上げられるようになったのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という小説で、爆発的知名度が上がったためです。
これにより、あまりにも素晴らしいイメージができてしまいました。
坂本龍馬は、薩長同盟のおぜん立てをし、日本初の商社「亀山社中」を設立するなど明治維新の立役者であると教わり、人気が絶大であり、尊敬する人物像として常に上位にいる人ですよね!
しかし、個々の事案には多少からんでいるようですが、大半がフィクションであり、相当誇張されているとのことです。
歴史にロマンは要らないという方もおられますが、何か寂しい感はありますね!
石じいは、教科書問題とは別に、以前から、なぜ坂本龍馬が重要な出来事に登場するのか非常に疑問に思っていました。
なぜなら、坂本龍馬は土佐藩の下級武士であり、土佐勤皇等に属しているとはいえ脱藩をしております。
当時の脱藩者は犯罪人扱いと同じであり、身分制度の非常に厳格な時代に、上位武士である西郷隆盛や木戸孝允等に面会することができ、重要な取り持ちができたことです。
また、亀山社中が設立後、薩摩経由で長州向けに7800挺の銃をその2カ月後には戦艦を購入しております。
現在の金額に換算すると約50億円にもなるそうで、そのような金がどこから出たのか不思議でなりませんでした。
最近の色々な本を読んでいますと、本郷教授の言われている通り役割が大きくないとの説が多々見られます。
竜馬は脱藩後、江戸へ行き、勝海舟の配下となっております。いわば幕府側の人間ですね!
勝海舟のお供で長崎に出向いたことが大きな転換点となっております。
ある日本の商人を介し、有名なグラバーと出会っております。
グラバーは24歳の若さで日本に商社を設立し、茶や生糸の商いをしていましたが、その後長州や薩摩等を相手とした武器を扱って多大な財をなした人です。
しかし、当初グラバーが直接武器商売をするわけにはいかず、そこに坂本龍馬が存在したわけです。
すなわち、坂本龍馬はグラバーのパシリであったということです。
よって、亀山社中が銃や戦艦を短期間で購入・販売できたのは、すべてグラバーの手配であったと言えます。
もちろん、長州や薩摩のお偉方と知見が得ることができて、それなりの活躍をしているわけですから、単なる
パシリとは言えませんが・・・。
また、有名な薩長同盟に関しても武器販売に関わった経緯から西郷隆盛のパシリとして動いていたとの説もあります。
そして、薩長同盟の場所には実際には居なかったとさえ言われています。
その観点からすると今回の歴史教科書から消えるという判断は正しいのかもしれません。

それではグラバーはどんな人物であったのか!
グラバーはスコットランド人で、長崎開港と同時にシャーディン・マセソン商会に入社し、代理店として日本にグラバー商会を設立し、討幕派、佐幕派、幕府を問わず武器の商売をしたのです。
しかし、若輩の外国人が何もわからない場所で、どのように商売ができたのか?
グラバー邸は長崎の観光名所で数多くの観光客が訪れますが、グラバー邸の入り口にはフリーメーソンの印の入った門扉が存在します。
フリーメーソンは中世の石工組合が発端のようですが、秘密結社で、現在でも面々と続いており一種のエリートの友愛会のようです。
メンバーにはそうそうたる人が入っており、アメリカのワシントンはじめ15人の大統領やモーツワルトなど各分野での有名な人々が名を連ねています。
話は飛びますが、アメリカの自由の女神像はフランスのフリーメーソンからアメリカのフリーメーソンへの寄贈であることが銅像下の説明に記載されています。
それだけつながりが深いのですね!
グラバーがフリーメーソンであるかは諸説あり明確ではありませんが、若造が活動するには相当の援助があったものと思われ、フリーメーソンが大きく絡んでいたと思われます。
グラバーは日本の政治的な動きに乗じて、武器を必要としている藩に手あたり次第売りつけたことになります。
ただ、グラバーは単なる商人ではなかったようで、グラバー邸の屋根裏の隠し部屋に伊藤博文ら長州人や五代友厚ら薩摩人を匿い、ヨーロッパへの留学の手伝いをしております。
血気盛んな若者に世界を見させ、薩摩や長州を尊王攘夷派から開国派へ転換させたおぜん立てをしております。
また、幕府寄りであったイギリスを討幕派に寝返らせたりして、明治維新推進に大いに暗躍しました。
特に江戸城無血開城に関しても、西郷隆盛と勝海舟の間で取り決めたといわれておりますが、裏で尾を引いていたとの話もあります。
西郷隆盛も坂本龍馬も打倒徳川で戦をすべしと動いていたのですが、イギリスの仲介で無血開城となったそうですが、グラバーが裏で糸を引いていたともいわれています。
江戸が崩壊したのでは貿易に差し支えるとのイギリスの損得勘定が働いたのでしょう!
また、坂本龍馬の「船中八策」なる国家体制提言も実はグラバーの原案をもとにしていたと言われております。
明治維新後、グラバー商会は諸藩からの武器代金回収ができず倒産しております。
倒産後、三菱重工業創業の岩崎弥太郎(土佐藩出身)のもとで高島炭鉱の実質経営者として日本に残りました。
その後、横浜に居を構え、現在のキリンビール(三菱財閥)の産業振興にとビジネスで活躍しておりました。
また、東京駅の丸の内の土地を二束三文で買い取り、その後三菱財閥へ売却し多大な財をなしております。
東京駅丸の内側の土地開発で常に三菱地所が出てくるのはそのためですね!
そして最後には外国人としては破格の「勲二等旭日重光章」を受けております。
これは伊藤博文の采配ですね!
明治維新は伊藤博文、西郷隆盛、坂本龍馬など多くの有能な志士によって成し遂げられましたが、裏にはグラバーという外国人が大きな影響を及ぼしていたのですね!
日本人ばかりが注目される明治維新ですが、死の商人と言われているグラバーなくしては明治維新も起こらなかったということですね!