石じいは歴史が好きでいろいろな本を読んでおります。
鎌倉幕府開設年は1192年と教えられてきましたが、最近異なった見解が定説となりつつあります。
これは、いろいろな証拠が出てきたために今まで正しいとされていた説が覆されてきた結果ですね!
以前に記載した通り、科学の世界での経験則が新事実により覆されるのとまったく一緒です。
これから数回、今まで教えられてきた歴史上の人物・出来事について違った面から紹介していきましょう。
まず第一弾は天皇についてです。
時の権力に振り回されながらも淘汰されず生き残っている不思議な存在だと思いますね!
天皇家は神武天皇から現在の125代今上天皇にまで繋がっています。
現代では日本の皇室が現存する王朝の中では世界一古い王朝だそうです。
でも、いろいろな本を読んでいるといろいろ研究がなされ奇妙な現象がたくさんありますね。
昨今、天皇のお言葉により生前退位等が議論されておりますが、有識者会議において故渡部元上智大教授が述べておられましたが、天皇は本来祈祷師であり日本のため祈っていれば良いのですと・・・。
あまりにも余分な仕事が多すぎるのではとの指摘でした。
この発言は大きく取り上げられませんでしたが、成り立ちから考えると「ごもっともな話」ですね!
実際、四方拝、新嘗祭等年間20回程度祈祷があるそうです。
日本に限らずそれぞれの部族には、占い師・祈祷師が存在し、医者・リーダーの役割を担っていました。
力を持った部族が全体を支配し天皇の位置付けができたのではないかと思います。
天皇で実在が有力視されているのが15代応神天皇からで、それ以前は、神話の世界で実在は疑わしいのですが、面白い記述があります。
出雲大社の起源である「国譲り神話」や「日本書紀」・「古事記」に記されている国譲り神話には天皇家はこの国の支配者ではなかったとなっています。
神話では高天原から降臨したとなっていますが、具体的には特定できませんが、どこか外の国(中国、韓国、モンゴル?)から来たということになります。
神話では先住民である「オオクニヌシ」から「アマテラス」が国を譲り受けたとされています。
また、「出雲太郎・大和二郎・京三郎」という言葉があります。
当時の建築物の高さを表現したもので建物が高いほど権力があることを意味します。
出雲大社・東大寺大仏殿・大極殿のことであり、出雲大社が最も高い建物でありました。
最近、20年に一度実施される式年遷宮で神話を裏付ける心御柱が発見され、出雲大社が巨大建築物であったことが証明されておりますよ!
では、何故出雲大社が一番高いのかと言うと、この国譲り神話と関係があるという説であります。
国を譲る代わりに最大の建築物を手に入れたとのことですが、ほんとかな?
それにしても48mもの高さの出雲大社とはすごいですね!
存命中の日本の君主を、天皇の諡号を付して呼ぶ伝統はなく、権力の頂点を「大王(オオキミ)」と呼び、「天皇」が用いられる40代天武天皇ごろからだそうです。
元々、古代においても天皇には絶対的な権力は無かったと思われ、平安時代以降江戸時代まで、ほとんど天皇が直接政治に携わることはありませんでした。
武家の代表とされる平家や源氏などは天皇の子孫でありますが、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など天皇家と関係のない権力者が天皇家を抹殺し、取って代わるなどの行為が全くありませんでした。
征夷大将軍、関白などの称号を与えられ天皇の僕として位置づけられております。
ヨーロッパ、中国など海外では新権力者が前権力者一族を徹底して抹殺するのがほとんどですから不思議な現象ですね!
天皇に取って代わろうとした権力者は足利義満くらいですが、なぜか失敗に終わっています。
奈良・平安時代は飢饉など死者が多く発生し社会不安があり怨霊を影響であると恐れられ、祈祷師としての天皇が心の支えとなっていたのでしょうかね!
そのため遷都が頻繁におこなわれておりましたね!
「怨霊からの逃げ」、「人口増による生活環境の悪化」で疫病が増大し、多くの死者がでてきたためといわれております。
ところで、天皇が都を移すとき遷都というのですが、明治維新により京都から東京に天皇が移り住んだのに遷都とは呼びませんよね!
明治の王政復古で朝廷と幕府の機能を引き継いだ太政官や、皇室や公家たちまでもが東京へ移り、京都市の人口も30万人から24万人に減少して京都は衰退しました。
京都を無碍にできず、帝都東京と儀典都市京都という分担にしたのは、明治天皇と岩倉具視だったそうです。
1883年に京都御所の保存とそこでの即位礼など皇室行事を行うことを決めたのだそうです。
遷都という言葉をつかわず、あいまいな状態にしておく日本らしいやりかたですね!

定説となっておりませんが、明治天皇に関して不可解な説があります。
明治天皇は、江戸時代の公明天皇の子ではないというのです。
『裏切られた三人の天皇…明治維新の謎』という本に、本来の天皇は暗殺され大室寅之祐にすり替えられた証拠となる話がいくつも紹介されています。
写真にみられるように睦仁親王と明治天皇は外見からも全くの別人であり、性格もおしとやかで右利きの睦仁親王に比べ明治天皇は外交的で左利きであったことからも裏付けられております。
元宮中顧問官山口鋭之助は「明治天皇は、孝明天皇の子ではなく、山口県で生まれ、維新のとき京都御所に入った」、岸信介元首相も「今の天皇家は明治天皇のときに新しくなり、実はそれまでの天皇家とは断絶している」、元公家広橋興光も「睦仁と明治天皇は別人」とのそれぞれ述べています。
大室寅之助なる人物は天皇家の南北朝時代に敗北した南朝家の子孫と言われ、長州が意図的に擁立したとのことですが、素性は明確ではないようです。
大室寅之助は高杉晋作が創設した騎兵隊に所属し、伊藤博文の配下であったそうです。
その画策をしたのが伊藤博文であり、明治天皇となるべき睦仁親王を暗殺した本人ともいわれております。
長州、いや伊藤博文らは好き放題のことをして明治天皇を祭り上げ、明治政府をつくったのですね!
これが本当ならば驚きの事実ではありませんか!
過去も天皇家に取り入り、娘を嫁がせたり、養子にさせたりと色々な事件がおきておりますが、現在でもそのような画策があったようですよ!
あくまで噂ですが裏の無い話ではなさそうで、大室家と遠縁の故橋本龍太郎総理大臣や、姻戚に当たる麻生太郎など養子・人工授精等の画策を図ったともいわれております。
雅子妃の病気の原因もこのような騒動に巻き込まれて起こったのではないかとのことです。
また、大正天皇も明治天皇の子ではないとのことですし、今上天皇も5才頃の血液検査で昭和天皇のお子ではないと判明したようです。
崇仁親王(三笠宮)の子ではないかとのことですが、昭和天皇は別の養子も考えていたそうです。
古今東西、直系でなくても何としても天皇家を維持しようとしてきたのですね!
このように政治に翻弄され、好き勝手にされている天皇は非常にみじめであり、ある意味では同情すべき人
達だなとつくづく感じますね!
菊のベールと言われ、一般には情報が公にされず闇の部分が多すぎるのですが、最近は今生天皇のご意向で
かなりオープンにされてきましたが、さらに奨めフランクな位置づけにしてあげたほうが良いのではないでし
ょうか!
また、養子や替玉を行っていたのであれば、性別にこだわらず女性天皇も認めたほうがよいのではないでしょ
うか!